それにつけても凄い過密スケジュールである。
今日のドラマーは会う前に日本のドラムマガジンのインタヴューで観た人であった。
実名を出すのが野暮と言うもの。
しかしニューオリンズのTOPドラマーの方々とはほぼ仕事をする機会を得れたと言っても過言ではないのではないだろうか?
最初のセットはいきなり入ってきた仕事だったので体力が無かったが、コーヒーを2杯飲む事によって克服できた。
それにつけても当初の印象とはうって変わってナイスな人であった。少し喋っただけであったがウォームなお人柄。リスペクトである。
最近は永井荷風の断腸亭日常という日記本にはまっている。
本は生活における薬だと捉えるならば間違いなくこの本は芸術的生活にポジティブに働くと言うもの。
荷風も素晴らしき日本が産んだ芸術家である。
この大正時代の怪物作家の日記は芸術家の社交術から社会観までにおよんでいる。
しかし、吃驚したのは政治嫌いの荷風が左翼について大正時代においてすでに「働かずして金をせしめようとする結社」という言い方をしている部分である。しかし天才的文豪の言う事が今の日本に巡り巡って純粋に日本を考える人たちやまた2チャンネラーの思想にまで影響を及ぼしているような気さえする。 やはり日本の芸術的エンターテイメントは文学、映画、コメディアン(残念ながら音楽はこの中に食い込む事ができなかった。あえて挙げるならYMOかもしれない)という流れにいっているような気さえするので(北野武がヴェニスのグランプリを受賞したのを考えるとあながち間違っていないと思うのだが)
こういった昔の文学家の作品は修正を加える必要が時代によってあれども本質については核の部分をいとも簡単に見当てていたりするので重要であると思う。
左翼を否定すれば右翼だと言われる現状。荷風先生はノンポリだったわけで、三島の超人的右翼思想とも訳が違う。
この時代と第二次世界大戦後の今とは訳が違う。
ようは日本人は世界大戦前は世界から黄色のジャップとして 人権をないがしろに国交では裏切られ、その後は日本にいる別の人種によって共産主義思想をプロパガンダ歴史捏造的に利用され裏切られ続けてきた訳であり、日本の歴史教育とアメリカ人の日本という国の価値観のずれからもそういったところがはっきり見える。
荷風のような作家にサポートになるはずの左翼を利用せず、こきおろした背後にはいったい何があるのか?非常に気になるところであるが、それは彼のプロフェッショナリズムなのでは?とおもう。日本の左翼とはいったいなんなのか?まあそんな考えもパゾリーニのサロを見ては吹き飛んでしまう。所詮われわれは右であろうが左であろうが権力者に騙されている存在な訳で、思想にしがみついたり信仰する人間は愚かだという事に変わりない。
この場合は、絶対の中からは自由は産まれず、自由の中からは絶対は産まれない。
なぜなら両方とも本質的に違うもので、無いものねだりである。
もしくはこれを一緒くたに全部融解させようと考える派も沢山いる。私はあまりにも後者を観てきたためにうんざりする。なぜなら京都は左翼の人口のほうが多かったからだ。無論別の人種に当てはめてその人種を神や聖者の様に仕立て上げる愚かな考え方は逆に差別を産み出す。日本国内でやっている分には構わんのだろうが、不可能な共産主義体制からファシズムが産まれるのと同じ過程であると言えば考えすぎか?しかし浅間山荘やその後の赤軍空港乱射事件は共産主義という名を借りたエゴイズムの産んだ悲劇である。
重要なのは懐疑ではなく、システムや他者に対する理解であるのはいわづもがな。
話を戻すと荷風氏の人との接し方も興味深い。懇意にしながらも距離を置く切ない優しさをもっていたり、否定したりするえげつなさもある。まあぐじぐじ言わず簡潔に延べているので判り易く潔いのであるが、こういうのを観ると芸術家たるもの文士も楽士も変わらんなとつくづく思ってしまう。
まあそんな他愛も無い事を考えながら明日の仕事に向けて曲を覚えねば、、、。